【ライトノベルは文学ではない】大学授業でラノベを教科書に使った大学講師「ソードアート・オンラインは、教材として理想的」

名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
「ライトノベルは文学ではない」。
ライトノベル読者であれば、誰でも一度は親や友人、教師からそう言われた経験があるのではないでしょうか。ライトノベルといえば漫画タッチの挿絵であったり、登場人物のくだけた口語一人称表現であったり、魔法や超能力などファンタジックな設定が多いのが特徴です。一般小説や純文学とはかけ離れた印象が強いため、「文学ではない」と思われてしまうのも仕方のない事かもしれません。
しかし愛知教育大学では今年度も国文学の講義で人気ライトノベル『ソードアート・オンライン』(川原礫:著、abec:イラスト/アスキーメディアワークス)を教科書として採用してインターネット上で話題となったことは皆さんもご存知かと思います。ライトノベルからでも何かを学べるのであれば、ライトノベルは文学なのではないか?
ライトノベルを教科書にしていったいどんな授業をしているのか。興味を持った方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、ライトノベルを教科書にしたユニークな講義を行っている大学教員の広瀬正浩さんにインタビュー取材をしてみました。
━━ライトノベルを教科書として選んだ理由をお聞かせ下さい
実は、純文学やライトノベルという分類には、それほど興味がありません。
日本語で書かれ、現代の日本で受容されている物語について考えるという軸さえ外れなければ、別に問題はないと思っています。
私が大切だと思っているのは、娯楽や身近な出来事や情報の中にある「当たり前のもの」を拾い出し
なぜそれが「当たり前」とされているのか考え、私たちの感性を批判的かつ建設的に見直すことです。
その意味で、娯楽的要素がありつつも、仮想世界を通じて現実世界のあり方を相対化するきっかけに満ちた『ソードアート・オンライン』は、教材として理想的でした。
ちなみに本務校では「文学」という枠の中で
森見登美彦『四畳半神話大系』や
竹宮ゆゆこ『とらドラ!』
成田良悟『デュラララ!!』などを扱ったり
『ひだまりスケッチ』
『リトルバスターズ!』
などのアニメを扱うこともありますが
私としては単なる受け狙いでやっているわけではありません(多少は受けも狙っています)。
━━ライトノベルから学ぶためにはどのような読書をすればいいのでしょうか?
非常に基本的ですが、物語の設定や登場人物の言動などに対して「なぜ?」という問いをぶつけることです。
小説を読み、自分の気になる場面について
「なぜ自分はこの設定を面白いと思うのか?」
「なぜこの場面は自分の心に刺さるのか?」
「なぜ自分はこの語り口に腹が立つのか?」
と問題提起をするのです。
次に、「この場面にこんなにも心動かされている自分とは何か?」と疑問視してみるのです。
現在の自分の立場や感受性が現代社会においてどのように成り立っているのか、俯瞰的に考えなければなりません。
そうした問いの一つ一つに真摯に向き合うことが、単なる娯楽でない、研究のための読書になります。
━━大学の講義としてどのような課題を与えているのでしょうか?
授業では、『ソードアート・オンライン』の様々な場面に注目して問いを設定し
ヒントとなる情報や考察の仕方を示した上で、学生にミニレポートを書いてもらっています。
たとえば「もしあなたがゲームの仮想世界の中から長時間出られなくなったら、どのような行動をするか」
といった課題には「アスナのように現実世界に戻る努力を続ける」と書く学生もいれば
「長時間いれば、自分がいるところが“現実”になるから、仮想世界で充実した生を営む」
と書く学生もいます。この意見の違いは、「現実」というものに対する各人の期待の違いによって生じます。
ではそのような「現実」に対する期待がなぜ多様化しているのか、という更なる問いが生まれます。
こうして幾つかの問いを繋げていきながら、学生の思考を蓄積させていきます。学期末に課すレポートでは、『ソードアート・オンライン』を読んで自分が考えたことを比較的自由に書かせています。
━━学生からの反響はどうなのでしょうか?
この授業は今年度で3年目です。
毎年、ライトノベルに対するミーハーな気分から受講する学生や
逆にライトノベルへの拒否反応から授業に対して懐疑的な学生が少なからずいます
しかしそんな学生も、授業が進み、こちらの狙いを理解すると、それなりに問題意識を持って授業に臨んでくれるようになります
昨年度の学期末は
「意外と真面目な内容で面白かった」
「現代文学について研究する手掛かりを得た」
というような感想をもらいました。こちらとしても嬉しかったです。
━━ありがとうございました。今年度の授業も頑張ってください
インタビューを通してライトノベルは文学か否かは、読者の心がけ次第だと感じました。皆さんもライトノベルの読み方を変えると、また新しい魅力が見つかるかもしれません。
http://ddnavi.com/news/238540/
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
少子化で大学も大変なんだな
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
俺ガイルのようなネタ的なんちゃって文学と違って
SAOはジンテーゼをちゃんと内包してるからな
そらやり易いだろうよ
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
自分のヲタ趣味押し付けてるだけじゃねえかw
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
>実は、純文学やライトノベルという分類には、それほど興味がありません。
>日本語で書かれ、現代の日本で受容されている物語について考えるという軸さえ外れなければ、別に問題はないと思っています。
あーあ、言っちゃったな
「○○はラノベじゃない、文学だ!」とかで必死な人達もいるんですよ!
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
拙い文章を、どこがおかしいのか? と添削させるんだと思ってた。
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
流石にラノベを教材にするのはナンセンスだろ
何のために大学行くんだか (´^ω^`)
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
ラノベって昔からあるけどさ
そもそも中学生が読むもんだろ・・
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
アルスラーン戦記
図書館戦争
ぼくらの七日間戦争
涼宮ハルヒの憂鬱
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。
せんせいは何故女子中学生にちん◯んをぶちこみ続けるのか?
ラノベの境界はどこかね
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
小学校5年生で日能研で国語の偏差値35取ってきた弟に
フォーチュンクエスト読ませただけで偏差値60になった
よって小学校レベルの現国には効果ありと認める
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
単位楽そう
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
F欄大学の話題作りでしかないだろ
まあでもラノベというだけで馬鹿にする風潮あるけど、SAOあたりは文章もしっかりしてると思うよ
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
村上春樹、村上龍、吉本ばなな
あたりまでがラノベ
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
現代文化学とかではなく国文学の授業ってのがまた
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
よく読むと、教育内容が高校受験の現国みたいな設定なんだな
現国の読解力つけましょう、ってのと
国文学って領域はちょっと違うとおもうが
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
普段「読書」しているもの
週刊少年ジャンプ、その他漫画多数
見ているTV番組
アニメ
ネットでやっていること
2ch
「ライトノベルなんか中学生が読むものでしょ恥ずかしい(キリッ」
場所と言ってる奴等が悪いと
ここまで説得力が無くなるものか
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
まともな人間が一人もいないデュラララから何を学ぶんだよ
名前:名無しさん投稿日:2015年05月12日
国立大学でもこんなことやるのか
確か、愛知教育大学って教育大学の中じゃ結構有名なとこだろ
(´・ω・`)とらドラ、リトバス、四畳半、ひだまり、デュラララ!
(´・ω・`)確かに面白い作品ばっか使ってるなぁ・・・・ISとか使わないの?
この記事へのコメント
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未だに謎が解かれていない
ラノベとして
文章力の問題じゃなくてプロットの問題なのであって、そしてこのプロットがなぜ需要があるのかを研究してるんだよ
渡航とマーヴェラスの工作員観てるかー?wwwがははwww
文学はあくまで、審美的な側面の有無に関わらず、ある主題に関係した出版物の総体。
っていう意見が固まりつつあるからラノベが文学か論争はそんなに気にしなくていいと思う。
最近なんか月に300冊近く刊行されてるからもはや一大勢力になりつつ有る。
ただの低俗大衆小説だw
純文学でもセクロスシーン一杯あるしヘーキヘーキ
大学レベルまで行くともっと凄惨な描写が有るものも教材として普通に出るんじゃね。
直木賞とってる小説でも品性下劣な作品とか結構あるし。
「どうしてまともな人間がいないと思ったのか」という
感想を書かせて受講生各々の価値観の違いをあぶり出していく
ということだろうな
この授業内容なら別に使ったからってそのラノベが
文学として優れているとかそういうこととはまったく
関係がないね
たとえばTVドラマとかでも使えそう
いくらなんでも見え見えすぎて乗ってくる奴いないか
なぜこの作品を構成する要素が
現代社会において需要があるのか
そこから自分は現代に対してどういうスタンスをとるのかと
問題意識を高めていこうって授業だろ
自分も昔は戦後文学をよく研究、勉強していたけど
現在を考えるなら題材がライトノベルになるわけか
それが、文学として高尚()かどうかなんで、別の話だよな。
変な差別意識もってる方が危ないからな
言葉を正しく運用してるのならなんだって文学だよ
SAOは教科書
池沼
成功の秘訣は、文学でないこと
本を読んでいます 漫画だけどってのが一番衝撃ではないか
若者の活字離れというか、見てるだけで頭で考えないという事が問題か
文学じゃなくていいよ
授業で使われるようになったらおしまい
「読んでも若い世代が共感できない」だと
この授業は成り立たないからな
読みやすくて現代性があればなんでもいいんだろ
授業で使われたから文学として認められたとか
そういうことはまったく言ってないじゃん
本当に村上春樹を読んだことある?
渡辺淳一とごっちゃにしてない?
いつまでも空気吸ってんじゃねえよ
ただこれを見た若い教授がこういうのやってもいいんだと趣味性を反映させすぎていくのはちょっと
リトバスは文学
非常勤の講師は院生もやるらしいし
SAOはジンテーゼをちゃんと内包してるからな
そらやり易いだろうよ
↑これ重要
そんなのが人気なんだなw
あと興味を引くものであるというのは結構重要
誰も興味のないものは適当に流して終わるからね
大体今でこそ、文学だ何だと持てはやしている
漱石にしろ芥川にしても当時は学問ではなく娯楽だとされてたんだし、
ラノベの全てがどうのにはならんと思うが、
いくつかの作品は文学だとされてるだろうな。
死んでるけどな。過去にしか存在しない遺物。現代にトルストイもサルトルもいないのが証拠。つまりラノベも純文学も垣根はねえってこと。
帝大で教授就任ボイコット、学生大量学部替え騒動があった位なのに
今では漱石大先生だ。
今娯楽とされるラノベの中でも50~100年経てば大先生呼ばわりされている人も
いっぱい出てるでしょ。
ザックリ言えば、それが何故今ウケているのか、というのを考えていくというか。
この講師の人的には、特にラノベとかに拘らず、現代社会に有り触れているものの
中から、いろいろテーマを抽出してくる感じだな。
その中の一つにラノベがあり、SAOがあるというか。
文学は死んだ!
なんで?
文学なんて、作品次第じゃなくて受け手次第なとこあるからな
向いてるって事じゃね?
ダンまちのおぞましい演技でトドメ刺されたわ
議論する講義をしたらよいよ
最近になってキャラ文芸とかいう意味不明なカテゴリーを作ろうとしてる馬鹿とは違うな
ああ、入試不要の専門学校なのか
まぁその程度の講師と受講生ってことか
オタクっていうのは物語を愛するスペシャリストだと思うのに、ジャンルをひとくくりにして否定するのは、一部のガキの戯言だと信じたいっす
あと村上春樹の作品を否定している人がいるけど、どう駄目なのか説明してくれ。きっと作者が嫌いなだけで言ってみただけの輩だろうから期待してないけどね、笑
↓
だがそもそも俺ガイルはライトノベルではない
↓
俺ガイルはやはり純文学である
何の矛盾もないな
やはり俺ガイルは純文学だったのだ
まあ日本の大学生協で西尾の本が一番売れる時代だしなあ
否定から入る人間がよほど古くさくて頭が固い
「授業で使う=教科書」という発想なんだろ
ただの教材だから大学ではなんだってOKだっつの
売れてる奴が理想的だろ
それとも売れてない物で勉強して売れない作家にでもなるのか?
心理学教えてたし、
その講義でライトノベルって…
こういうのが『ゆとり脳』って言うんだろうなぁ…
熟考する事もせず知った風な即答を出すバカ
なぜラノベが今の読者に受けているのかを考えてるんじゃないか
世俗に関心を持つのも教育者を目指す上で大切なことだからなじゃないと
ここの馬鹿みたいに薄っぺらい回答しかできなくなる、
教育者としては致命的だわな、考えもせず条件反射で批判とか
んん?
精巧に作られたVRは現実と変わらない
ってのがSAOのテーマじゃなかったか?
そこ抜きに考えるとキリット様はネットでしかあったことのないおにゃのこをストーキングしてることになるぞw
嘆いていた講師と真逆の案件だな。
相手の大学生がまさにラノベの読者層なんだから、ラノベを研究の題材に
使うのは何ら間違ってない。
ビートルズ云々言ってる講師も、ニコニコの歌い手の楽曲を題材に分析して
教えて、且つそれらとビートルズの関連性を教える方向で授業をすれば、
うまくいけば授業とビートルズ両方に興味持ってもらえただろうにね。
それも大学の講義なんで、基礎学習としてキッチリ高校レベルの文章読解能力があることが前提
で、それには依然文学作品を教材にするのが好ましいわけで
>現在の自分の立場や感受性が現代社会においてどのように成り立っているのか、俯瞰的に考えなければなりません。
ラノベとか文学とかどうでもいいけど、この程度は読書してたら勝手に身につくか
最低でも高校で教わることやろが
特に小さいころはね
ただ改行とせりふばっかりなのはだめだね
誰か金払ってやってもらってるか個人的な脱線ぽい
骨に具志堅を刻んでほしいその講師
もちろん文章表現は低俗とは対極にあるんだけどさ
難しく考えなくても
もう十年以上、一般作品の低迷ひどいぞ
気取った表現で書いてるだけで、内容は売れてるラノベの方がマシって作品がごろごろしてる
さすがに賞取るようなのはまともだが、それでも過激に低俗にって風潮は全体にあふれてる気がする
対象読者に受けそうなキャラとか設定のマーケティング的なものを除けば、
あとはどっちかいうとSFの哲学的な論点になりそう
当時の常識でいえば、創作話を女子供にも読みやすい文章で書いている時点で、むしろ低俗の極みだったようだがな
かつての低俗がいまは文学ともて囃される
ラノベもそんな道を歩んだりしてなw
アニメ作る前提の設定資料集とかパイロット版扱いとか
いわれてるのもあるしな
余程の読書家でもない限り低俗な(とお前が評するような)本なんて読まないからな
普通は有名な作家の有名な本や賞とって有名になった本を読む
まぁビブリア古書とか謎解きはディナーのあとでとか、確かにラノベとどうちゃうのん?って言われると答えに窮するけどなw
「最近の若者は色恋沙汰ばかり書いた小説なんて
低俗な物ばかり読んでる。これでは日本の将来が心配だ
四書五経を読んでちゃんとした勉学をしろ」
こういう人は多かったろうな
だいたい個人の恋愛を描いている時点で当時は低俗な
読み物扱いだししかも海外の影響が強いからね
そういえば、お兄さまの最新刊すごいなw
ラノベの中でもトップクラスに「読み手に対して読みやすく」書かれてることじゃね?
実際の人気の要因でもあるだろ。
俺的にアレを一般の小説に分類するのは抵抗があるんだが
ラノベは純文学ではないが大衆文学だろうが。
知ったかで文学史を語っているのが見え見え。
江戸時代の黄表紙や終戦直後のカストリ雑誌も大衆文学だろ。
エログロファンタジー小説中心の本だが大衆に読まれて普及した。
むしろ必死にラノベをディスっているのって自国民でラノベを書く才能もないアジアの方々かな。あいつらは日本のアニメマンガ・ラノベを叩いているくせに自国では何もろくに作れないからな。
SAOってさ、続きものだから、途中から読むとなにが何やらって感じだったな。
神奈川ほどじゃないけど愛知名古屋も結構荒れてる
この前の、文章力のランキングの記事で低い評価だったよね
というか、イズルとか赤松中学とか
文章力で低い評価をされた作品ほど売れてるという・・・
そのほうが中高生には、逆に読みやすいということかもしれないけど
売るものを選ぶ(これが売れていると宣伝する)ってのは
ある程度売り手側でできるからな
でもラノベのファン層とも若干外れてるし
アニメ化向きの娯楽性重視の作品でもないから、結局は埋もれてる感あるけどね
台本だよ
あるいは妄想ノート
愛知の鳥山センセあたりの斡旋だったりして
なお、Fランであるのは自覚済み
キャンパスど田舎でやることなくヤることに没頭している模様
また名大落ちにとっては単位を落とす方が難しい模様
>ラノベの中でもトップクラスに「読み手に対して読みやすく」書かれてることじゃね?
キミ、あまりラノベ読んでないだろ
あれが、『トップクラスに「読み手に対して読みやすく」書かれてる』とかないよ
ただ、ひどいのが増えた最近のと比べれば、標準レベルではあるけど
彼の編集と校正さんは大変そうだ
という題材としてはありなんじゃないか
>>精巧に作られたVRは現実と変わらない
>>ってのがSAOのテーマじゃなかったか?
全然違うぞ。それはSAOの元ネタのクリスクロスやクラインの壺の方だ。あれらはVRが精巧過ぎた為に現実と見分けがつかなくなり、どちらが現実でどちらがVRかわからなくなるっていうオチだった。
だがSAOはVRと現実を明確に別物として描いている。SAOにおいて両者が混同された事は一度も無い。どちらかというと「ただの体感型のネットゲー」という扱い。
SAOは実はVRモノである必要性は全然なかったりする。
それは言葉の定義の問題であって、お前は言葉の定義を変えて反論した気になってるだけのアホだ
さらに後半は被害妄想過ぎて精神科に通うのをおすすめするレベル
お前の主張は、いかにも自分ひとりで閉じこもって誰とも会話する事がなく、自分の主張の反証を試みる事もない、キチガイの妄言そのものだ
この中だと「ぼくらの七日間戦争」以外はラノベかねぇ。「ぼくらの七日間戦争」はラノベではなく児童文学だな。
アルスラーンは作られた当初はラノベではなかったのかもしれんが、後追いの模倣作品が大量にラノベで作られてジャンル化した事で、後天的にラノベに組み込まれたって感じになるかな。
俺ガイル()は・・・・?
文化の一環ではあるが、娯楽を授業に盛り込むってのは駄目だろ。
せっかく金払ってんだから、趣味でやる以上のことをやってくださいよ
あれはラノベ寄りのラノベ贔屓の物語として描かれてるからなぁ…
ラノベ好きな主人公はイイ奴で、ラノベ嫌いの純文学かぶれはイヤな奴として描かれてて、単に自分が認められないコンプレックスからラノベを批判しているだけ、という落としどころに持っていってるあたり、真剣に論じるに値しないというか
文学をテーマにした物語に見せかけたはいいものの、上手く纏める事ができずに、結局最終的にはキャラ萌えとギャグに逃げてお茶を濁して終わるのが、作者のチキンさを伺わせる
同様のテーマで筒井康隆あたりが書けば、もっとパンチの効いた話になったかもしれんが
義務教育じゃなくて大学の授業でやってんだから問題無いよ
大学ってのは、クソの役にも立たない事ですら学問として扱う機関だからな
そこにどんな価値・役割を見出すかは他の人間が考える事であって、大学が考える事ではない
クソの役にも立たない事であっても、それを金を払ってでも学びたい酔狂な奴がいるんであれば、授業に盛り込んでも何も問題無い
時間と金の無駄だと思うなら、その講義を取らなければいい。大学では何を学ぶかは生徒自身が決めるもんだ
F欄はあんま関係ないと思うわ
授業の価値・役割を提供する側の大学が考えなくてどうすんの?
公金横領や給料泥棒レベルじゃん
猫が主役の小説なんてラノベ以外の何者でもないwww
この授業のどこが娯楽?本文読んだ?
バカにされたら顔真っ赤にするんだろうなぁ。
なんとなく、価値というか評価な気もするけど
文学的価値があるなら、ラノベも文学になるだろ
まあ、ラノベの方向性からして文学にはなりにくいとは思うが
砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けないは、文学っぽいかも
文学的なドラマやテーマは内包してるだろうが
アニメ化前は文章力評価高かったが大ヒットした途端評価を下げられた
ラノベ作家の中では決して低い方では無いよ
文章力だけならそのまま一般にスライドしても問題無いレベル
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体感ネトゲでしかないって、ちゃんと読んでる?
疑問を持って研究する姿勢で読めばそれは立派な研究資料
ただ楽しむために読むなら娯楽作品
意識次第だろ
この作者が書きたかったのは決してこんな展開で無いことは誰でもわかります。
つまり、編集側での要望(命令)によってヒロインの凄惨な展開にNGがだされたんですよ。
この作者は売れっ子で、右翼の肉親を持った過激な人であるのに編集に逆らえなかったんです。こういうのを見ると、ライトノベルには安易なご都合主義が宿命付けられていると言われても否定できないかもしれません、泣
面白ければ読む、それだけ
ちゃんと読んだ上で言ってるよ。
何か誤解してるようだが、物語の舞台装置として、SAOではVRがただの体感ネトゲという役割しか与えられていないって言ってるんだよ。SAOで扱われてるVR類はそのまま普通のネットゲームに置き換えても物語そのものは成立する。
登場人物達は現実とVRを明確に区別しており、クリスクロスやクラインの壺等のように現実とVRを混同していない(混同させられるようなシチュエーションに陥ってない)。その上で、どちらを選ぶか、どちらが自分にとって大切か、というような話にはなっているが、それらと現実とVRの区別ができなくなることはまた別の問題。
また、似たような例で言えば、家庭と仕事、部活と勉強、どちらが重要か、なんてのは昔からよくあるテーマであり、VRに限った話ではない。それらを現実とゲームの問題に置き換えてるだけの普遍的な内容に過ぎず、VR特有の問題には触れていない。
むしろ、普遍的だからこそウケが良かったのだろう。クリスクロスやクラインの壺はSFに偏り過ぎていたから、SFに興味が無い人間からのウケは悪かったのだと考えられる。
考えなくていい
そもそも、価値や役割を言い出せば、高等数学なんて無価値だぞ
せいぜい暗号とかに使えなくもないって程度。それだって、別に数学者が「暗号とかに使える」と考えて研究しているわけじゃない
彼らは単に数の持つ特性が面白いから研究してるだけ
現実には存在しない物をあーだこーだと考える学門なんだからな、高等数学は
大学の学問ってのはそういうもん。役に立つか、価値があるかどうかなんて二の次でいい
そういうのは他の奴が考える事だ。研究者が考える事ではない
平坂読の最新作でガガガ文庫は寝取られ禁止という裏話がでてきたけど、ふざけんじゃないよ
文学作品での恋愛ものでは寝取られは標準装備といっても過言ではないのに・・・
娯楽ならそうだろう
自分が「あー楽しかった」で済む問題なら何も考えなくていい
だが研究対象ならカテゴリは重要だろ
その作品が置かれた状況を客観的に分析し考察する上でカテゴリは無視できない
ただ、西尾維新の作品は「文芸書」という扱われ方を、テレビでもされるけど
SAOは「ライトノベル」としてしか扱われないんだよね、なぜか
高校生の教材にふさわしい日本を代表する純愛文学と言えるでしょう
精神や魂のようなものがどこにあるか? 人間とはなんぞや?って事だろう?
クリスクロスと最初丸かぶりでアンチ入ってたけど、
クラインの壺とかとも着地点が大きく違ったから好きになった。
夏目漱石は(当時の)ラノベという認識で間違ってはいない。
漱石ですら、当時は女子供の読むような、馬鹿向けの小説という認識だった。
その漱石すら堅苦しい・難しいと思うようなモノホンの馬鹿向けに作られたのが現代のラノベ。
つまり、どんどん読者の知能が下がってるって事。
いや、文学的なのもあるにはあるんだけどね
でも、あくまで中高生向けだから、よほど娯楽性を残しながら上手く描かないと
編集のOKが出ないというね・・・
どっちなんだよ…
それな
生活する上で微分積分だのルートだのいらねぇもんなw
役立つ知識が欲しけりゃおばあちゃんの知恵袋でも読んでろ、ってのはあずまんが大王で言われたけど、まさにこれ
大体お前ら普段さんざん作者の気持ち考えて何の意味があんねんwwwって嘲笑しとるだろうが…
資本主義社会においては、売れない純文学より、売れる娯楽作品が上になる
いや、どう考えてもそういうテーマじゃないだろ
そもそもSAOのVRは肉体を離れていない
それはどちらかというと.hack//の方のテーマだろう
大学レベルはあまり使わないのは確かだが・・・
大学で勉強する高等数学ってのはそういうレベルじゃないんだよ
微分積分ルートってのは、仕事によっては十分活用されてる
殆どの奴は実用できないってだけの話であって、あれらを実用してる人はいる事はいる
でも大学で勉強するような数学ってのは、もうほんとマジで「これ何に使うんだよ…」ってレベルのものばっかなんだよ
だからその数学的法則が発見されてから数十年経ってからようやくその実用方法が見つかる、ていうのが数学界ではザラ
でも結局人間の魂と同じ構造で作られたAIと人間は同じものか?
プログラムではあっても限りなく人間と同じような思考ができるユイは?
とかそういう話っしょ?
VR空間も人間と人間に準じるAIが、
将来的に交流できる場として構想されたみたいな感じだったし。
そういう風に匂わせてるだけで、結局のところ、電源落とせば消える世界にテーマもクソもないんだよなぁ…
そういう結論から逃げずに挑めばそれらがテーマと言えるかもしれんが、SAOはひたすら電源問題からはスルーしてるからなぁ
.hack//なんかは電源問題にまで踏み込んでたけどさ
お前も目の前の箱の電源落とせば
嫌な世界が全部消せるぞ
SAOと比べること自体がおこがましい
本番は中高の教科書に載ってから
こんな授業いやや
夏目漱石が今の時代まで読まれているのはその娯楽性あってのことだけど、物語からその娯楽性を抜いたら何が残るんだ
純文学のなにが楽しいんだ
一部の文章マニアのための芸術品としての価値でしかないじゃないか
もちろん純文学の理念を守り続けることはすごく大切だけれども、その芸術性はお話を面白くするための手段であるべきだと思っている
高尚な文学作品が好きな人は結局、「三島由紀夫頭いい」だとか「川端康成の文章は心にしみる」とか作者への崇拝に興味がいっていて、お話の面白さに興味が無いんだよね
それって知能のあるなしの問題じゃなくて、個人の趣味嗜好でしかないんだよ
そういう文章至上主義の人たちは、判を押したようにお話を楽しむ人達を見下すんだよね
だから要は使えるかどうかは使う側が考えてくださいってことだろう
そんなんを学校側がこの知識はこう使いますなんて一から十まで説明しないしする必要もないわw
まぁ物理的に維持しようとメガフロートと原発の権利確保もしようとしてたし、
現実世界にAIが進出してくる示唆もあったし、その辺は上手いことやってた気もしなくも?
VA空間はあくまで、人間とAIが同じ見た目であった場合に差異はあるのか、
って使い方になるぽかったし。
ベタだったけど、SAOのVR空間で物理的に物事を書き換える心意も
現実世界で物事に邁進してそれを叶える意思の力も、
結局は同じもの、というのも良かったと思う。
いや芸術性があるから残ったんだよ
戦前だって文学より売れてた娯楽小説はたくさんあったけど忘れ去られた
今の流行りものだからそれで生徒数を稼げるみたいな思惑じゃねーの?
ごめん
ご学校の読書感想文に選ばれるのは娯楽性があるからということに意識が向いてしまって知ったかぶってしまったよ
その部分はスルーしてくれると助かる
心意とラムダドライバ、AIが自分人造物であっても人間であると、と表明する所とか。
何を語るんだよ
SAOとか俺ガイルとかまさしくヲタク思想の人間が書いたものは悲しくなってくるのでNG
講義を受けたらわかるんじゃね?
それぞれが個人の主観というか、単なる好みで勝手に線引きしてるだけって感じ
嵐が丘?
「俺ガイル」は、心理学系の講座うちの入門的なものとして、あくまで選択授業の一つとして教材として使うところがあってもいいような気はするけど。
せやな、俺ガイルは文学性よか心理学あたりで見たほうがいいと思う
仮に使うとすればの話だが
まじかよ
今日からガガガのファンになります
俺ガイルを心理学にってwww
あぁwwwキチガイ俺ガイル信者の心理をプロファイリングするんですね
ラノベはあくまでも「文学の中でも低俗なもの」であって「文学に非ず」というわけではなかろう
SAO信者と俺ガイル信者の
いちいち他の作品を馬鹿にして回る、民度の低さはなんとかしてほしい
文学を語る前に、最低限のマナーは身に付けよう
昔のラノベみたいだったわ
どちらも大差ないと思うけど。
レーベルの違い、ただそれだけ
どうでも良い事でブーブー文句垂れてる学生の方が深刻だわ
お前らが頑張っていっぱいコメントしねーとやら菅に金が入らないだろw
当初は、くだらない文章という意味で小説と呼ばれていた。
いろいろ秀逸だぞあれ
ラノベを教材に使おうが構わんけど
ラノベだけを扱ったところでラノベを越えたものが見えてくるわけがないだろうに
文学舐めすぎ